新潟中越震災の災害復興支援(その2)
2004年 11月 07日
積雪地帯によくある、除雪機などを格納する「車輌センター」を救援物資用の倉庫にしたもので、重機が入る30坪程度のブースが17、中央広場には300坪を越えると思われる巨大なテントも設置されていた。
全国各地から集まる救援物資は、まずこのセンターに集荷される。
しかし、その量は膨大。搬入と搬出も慌ただしく常にパンク状態であり、運送業者の倉庫にも各地から届けられた物資が滞っているようで、隙があれば搬入の繰り返し。
避難地に物資を届ける自衛隊車輌が来ればリストに基づき物資を積み込み、物資がトラックで運ばれてくれば仕分けをしながら倉庫に搬入する作業が、朝の7時前から午後5時頃まで延々と繰り返される状態であった。
搬出は主に日に2回。自衛隊車輌に各避難所の様子に応じて必要な物資をそれぞれのブースで積み込み、各地に配送されていく。
搬入が始まるとバケツリレーのように自然とラインができ、わっせ、わっせと物資を運び入れる。1箱20kgくらいあるものが300個とか到着することも多く、たとえリレーをしていても足腰への負担は甚大であった。
仕分け作業も膨大。全国各地から洋服や毛布、おむつなどが届くが、それを性別や大きさ、種類ごとに分けて雨に濡れないようにパッキングしながら別々の場所に積み上げていく。スペースが限られるため、単純な物資の移動も頻繁にある。
滞在中は、市の関係者が常時10人位、市内の教諭・保母さんなど臨時が25人位、自衛隊が40人位、新潟県神林村から6人位、千葉県浦安市から10人位、そして長野県から20人の100人超がせわしく走り回っていた。
特に日曜日は休みということもあってか、様々なボランティアがさらに4、50人ほど加わった。
とにかく、その膨大な量の物資の搬出入や仕分けには人手はいくらあっても足りないくらい。物資の格納スペースも絶対的に不足していた。
(その3へ続く)