初めてのフルマラソン。
2015年 10月 18日
まさか、フルマラソンを走る日が来るとは思いもしなかった。
なまじ、走ることの大変さを知っていたから。
高校時代は剣道部、学生時代はワンゲル部で走っていた。当時の「走る目的」は、剣道であれば「足腰の強化」、ワンゲルであれば「体力や脚力の向上」、加えてメンタルの強化であった。これらは「鍛錬」であり、鍛錬は苦痛を伴ってこそなので、到底、楽しいと思える代物ではなかった。
その反動か、卒業後は全くといってよいほど走る機会から遠ざかっていた。
ひょんなきっかけは、2年前に相棒に釣られて参加した「須坂健康マラソン」の15km。
当時のワタシは、15kmという距離は未体験の距離。エントリーしたからには、完走したいのは人情。
そのときに書いた日記を振り返ってみた。
http://kanechin.exblog.jp/21379097/
なんだかんだで走り切り、不覚にも「レースは面白い」(注:練習はキライ)と思ってしまったのだ。
そして、次にエントリーしたのが2年前の「群馬サファリ富岡マラソン大会」のハーフマラソン。
正直、「15kmを走ることができたのだから、ハーフだっていけるっしょ」と思っていたが、そうそう甘くはなかった。いや、甘くなかったから、逆にハマってしまったのかもしれない。
そのときの日記。
http://kanechin.exblog.jp/21686713/
今でも覚えているが、ゴールした後は、歩行すら困難なほどに心身ともにボロボロ。「フルマラソンって、この倍でしょ?あほちゃう?まじで、ありえんわ。」
とかなんとか言いながらも、翌春に「魚津しんきろうマラソン」のハーフ、秋には「西駒んボッカ」、そして「大町アルプスマラソン」のハーフ、今春には「軽井沢ハーフマラソン」に参戦。
最初は「17kmの壁」が立ちはだかった。17km付近に差し掛かると足がシビれはじめ、次第に力が入らなくなる。感覚は遠のき、座り込んだまますぐには起き上がれないほど。恐らく、体内の燃料が切れる距離なのだろう。
以降、ペース配分や水分補給、エネルギー補給を考慮し、経験を重ねることにより、軽井沢では「17kmの壁」はほとんど感じることがなかった。とはいえ、ゴール直後には「これでまだ半分?フルはやっぱ、ありえん!」という印象は変わらなかった。
そして、夏。「秋、どっか走る?」と相棒に聞いてみると、「大町、いこうか」と。
昨今、どこのマラソン大会も大盛況で、エントリー開始当日に定員に至ってしまうこともざら。が、調べてみると、フルもハーフもまだ「エントリー可」。エントリー料金を見てみると、ハーフは4,000円、そしてフルは5,000円!?今どきのフルマラソンは1万円するものもあるなか、破格である。
「今年の抱負」で「フル完走」を掲げていたこともあり、しかもこの価格なら「失敗してもいいかな」という気持ちで、勢いでフルマラソンにエントリー。相棒も、半ば強制的ではあったがエントリー。
練習量も15km、20km、そして未知の領域であった30kmへと伸ばして行けた。
しかし、大会3週間前。まさかの「うるしかぶれ」&「マダニ襲来」というダブルパンチに見舞われた。腋の下の肉をえぐられ縫合したのだが、腕を振ると擦れるためか、かなり痛い。遠征に向けて連日の午前様の仕事、遠征、そしてまさかのトラブルで、9月の連休前後は2週間走ることができず。
大会2週間前の10月4日。さすがに焦りを感じ、夜ラン再開。そして、暗闇のなか、本当にわずかな段差につまづき、右足首を軽く捻挫><。痛くて、階段の昇降に手すりに頼らないといけないほど。負のスパイラルに突入。
6日間、トレーニング中止。歩くのに気を遣い養生し、階段の昇降ができるように。そして、大会8日前、3日前に軽いペースで5kmずつ走ってみた。あとは、なるようにしかならない。
当日。ゼッケンをつけると、なんだか気が引きしまる。キネシオテーピングで両足の足底筋を引き上げ、右足首は内転、外転しにくい方向に、少しきつめに固定してみた。靴紐も、いつもよりも若干強めに締めた(結果としては、足首の固定度は増したが甲の痛みが生じた)。
08:30、スタートラインへ。
そして、08:50に号砲。ハーフのペースで走ればフルを走り切れないのは明白であったので、気持ちとしてはキロ6分位でスタート。のつもりであったが、やはりレースは自然とペースが上がってしまう。
最初の折り返しまでは緩やかな下りということもあり、セーブしたつもりでもキロ5分30秒位に。
7キロでがくっと落ちているのは、トイレ渋滞。レースの前にコーヒーなんぞ飲んではいけないな。以降は緩やかな登りが続くが、なんとか最高地点までキロ5分40~50秒前後をキープできた。
標高の推移はこちら。
21km地点からの下りが、実にきつかった。重力に逆らう必要がないので「下りはラク」という方もいるが、自分の感覚では、先行しようとする体重を支えるとともに足腰にかかる衝撃がきつく、下り坂が足へ与える負担は半端ない。木崎湖のローソン辺りが26km位で一旦フラットになるが、このときの足腰の痛みときたら、本当に涙がにじむくらい。
折り返し地点では、あまりの足腰の痛さに歩きたくなる衝動に駆られる。そんな状態なので、一気にペースダウンし、キロ6分台へ。この状態から再び登りに差し掛かったときは、足腰だけでなく、メンタルもボロボロ。加えて、猛烈な陽射しで体温も上昇し、朦朧としながら、ただ足を交互に出す。
歩き始めるランナーがちらほら見え始めた。自分も、歩きたい衝動に何度も駆られた。しかし、歩いた瞬間にペースががた落ちすることもわかっていたので、ペースはどんだけ落としてもいいから、とにかく走り続けようと踏ん張った。
再び最高点に達する頃には、ペースはキロ6分30秒近くまで落ちてきた。ここからゴールまでの8キロは下り。しかし、この「下り坂」がさらなる追い討ちをかけてきた。足腰は本当にボロボロで、重力に引かれる体重とその衝撃を支えられないのだ。
足はしびれ、感覚が薄い。時折、電気が走ったような痛みとともに、崩れ落ちそうになる。ペースは二の次で、フォームキープのみを心がけて、ひたすら進む。
最後の給水所を過ぎる。あと、2km。とてつもなく、遠く感じる2km。
なんか、マラソンってクライミングと似ているな。最後のクリップから終了ホールドを掴むまでの間に墜ちたら終わり。マラソンも、いくら途中のペースが良くても、ゴール直前で倒れたら終わり。
実際に走って思ったが、30kmを越えたら、いつ倒れてもおかしくなかった。それは、少々休んだら復活できるという感じではなく、歩いてならゴールにたどり着けるというほどの余裕もない、本当にぎりぎりの中でのラン。倒れたが最後、ただ1歩を歩くのも困難でゴールは無理という感覚であった。
そして、あと1km。運動場が近づくにつれ、応援してくれる人が増えてきた。応援ってすごいな。あれだけ「無理!」と思っていた体がふと軽くなり、ペースが戻ることはなかったけれど、最後の最後まで走り切ることができた。
そして、終わった。
公式タイムは4時間10分52秒。後半、明らかにペースが落ちたのでダメダメかと思ったが、前半の貯金もあって、思ったよりも早かった。
相棒もフルマラソンは初めてであったが、なんとか5時間切りでゴール。本当に、お疲れさまでした。
走ったあとは、なおさらリンゴがおいしい!
お漬物も、お茶もおいしい!
ボランティアのみなさんも、本当にありがとうございました!
路傍で声援を送ってくださった皆様も、本当にありがとうございました!
なんか、一区切りついた。マラソンをこれからも続けるのかは、わからない。
立場上、仕事はますます忙しくなる。クライミングもしないといけないし、山にも行きたい、旅もしたい。読書もしたいし、映画も観たい。「時間は作るものだ」ということはわかってはいるのだが、これがなかなか難しい。加えて、歳を重ねることで、これほどまでに体力や気力が奪われていくものとは、本当に思いもしなかった。
村上春樹氏が「走ることについて語るときに僕の語ること」の中で述べている。
「・・・ 人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。・・・」。
なんだかんだ言って、仕事は大変だけど、まだまだ力を入れたいとも思っている。と同時に、やりたいことも山ほどある。しかし、仕事もマラソンもクライミングも、中途半端にやって伸びるものではなく、上を目指すにはさらなる努力を続けないといけない。時間なんて、足らなくて当然なのだろう。
恐らく、氏の仰る「ある年齢」って、もっともっと若い頃なんだろうな。今さらこんなことに気が付いて、あわあわともがいている自分は滑稽でもあるが、キライでもない。
長くなったけれど、何をするにも、周りの人たちに支えられて生きている。
みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。