ひがし茶屋街。
2014年 08月 17日
ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋を集め「町割り」したもの。格子戸と大戸、それに二階の造りが高い町並みは、藩政時代の面影を今も残している。ここでの「遊び」は琴、三弦、舞、謡曲、茶の湯から、和歌、俳諧に及ぶものであり、巾広く高い技能と教養が要求され「芸どころ金沢」の礎となったとのこと。
ろくに事前学習もなく行ってみたが、不意に「志摩」(http://www.ochaya-shima.com/)という看板に惹かれて入ってみることに。文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代そのままに残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価され、「国の重要文化財」に指定されているらしい。
うっすらと暗いが、これがまた涼を誘う。およそ200年前、多くの粋な人たちが登り降りしたと思うと、なんだか感慨深い。
「茶屋遊び」はお金さえあれば誰でもできるものではないらしく、「客の側にも芸を解する力量が問われ、旦那衆は茶屋通いのために自ら稽古事を積み、芸をたしなみ、洒落な心がけがなければ『野暮』とされてしまう」らしい。こりゃ、縁はないな、笑。
前座敷。
中庭。
ひかえの間。
井戸、石室(いしむろ)なども創建当時のまま残っており、排水は石造りの水路から裏側の用水へと導かれている。お茶屋はあくまで遊芸を楽しむ所で、料理は主に仕出し屋等から取り寄せられていたらしい。
タイムスリップしたような時間を楽しむことができた。
ひがし茶屋街に行かれる際は、ぜひ。陽も暮れてきたので、再び金沢市内へ向かうとするか。