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by kanechin
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金沢・妙立寺(忍者寺)。

 2014年8月18日(月)
 今日は、金沢の「ちょっと気になる」お寺さんにお参りするため、名前の通り、お寺さんが連なる「寺町」へ。
金沢・妙立寺(忍者寺)。_b0050067_23381441.jpg

 昔の城下町がそのまま残っており、ひとたび路地に入れば狭く屈曲した街道が幾重にも交差している。
金沢・妙立寺(忍者寺)。_b0050067_23371028.jpg

 スマホのナビゲートに従い妙立(みょうりゅう)寺まではスムーズに来られたが、駐車場探しに右往左往。妙立寺の参拝には電話予約が必要で「10分前にはいらしてください」と言われていたが、予約の9時になってしまった、汗。既に30名弱の参拝者が説明に聞き入っていた。参拝料1人800円を支払い座して説明を伺う。10人くらいずつのグループに別れ、専属のガイドが寺の内部を説明しながら歩いてくれて、とてもよい!

 しかし、ぱっと見はフツーのお寺なのだが、内部はものすごいことになっていた!撮影禁止だったので写真はないが、実に精巧に、色々な仕掛けを伴う内部構造となっており、外観からは想像できない大きさの迷路のようなお寺さんであった。
金沢・妙立寺(忍者寺)。_b0050067_23455099.jpg

 由来であるが、寛永二十年(1643年)、加賀藩は百万石の禄高を誇る「外様大名の雄」として徳川幕府の監視下に置かれて緊張状態にあり、幕府内では加賀征伐の計画すら存在したという。こうした背景にあって、前田利常は金沢の街をはじめとして、幕府の軍勢を迎え撃つ為の態勢を整えていった。

 金沢城を挟む「犀川」と「浅野川」を自然の濠(ごう、城を取り囲む水のある堀)に見立て、両河川の外側に寺院群を移築し、城の防備とした。特に、犀川は川幅もあり、現在の犀川大橋以外には橋を架けることなく渡し船を用いた。これは、福井方面からの幕府軍勢の侵攻を想定したもので、金沢城が直接攻撃される以前に寺町台で迎え撃つとの計画に基づき、寺町寺院群に出城の役目を持たせたものといわれる。

 妙立寺は1650年代に移築され、前田家の祈願所として歴代藩主自らが参詣し、武運長久と庶民の安穏を祈願した。また、万一の場合の出城として、その中心的役割を持たせたと言われる。そのため、建物全体が迷路状となり極めて複雑な構造を有し、外敵が襲ってきたときに敵を翻弄し、藩主を匿(かくま)い、逃すための隠し通路がいくつもあった。今日では『忍者寺』の別称を持つ。なお、実際は忍者とは全く関係ないそうである。

 もし、金沢でお寺さん巡りをされるのであれば、オススメです。特に、子供は喜ぶと思う!電話予約(076-241-0888)が必要なので、お気をつけて。
by kanechins | 2014-08-18 23:33 | 「旅」の独り言